今朝、ふと思いついて青くなった。
例の交響曲序章の最後の、長調に転じた以降の部分が、朝鮮民主主義人民共和国国歌と酷似しているのではないかという疑念である。 あわててハードディスクを検索して、かって一度聴いただけで放置していた件の国歌のmp3ファイルを探し出し、恐る恐る再生してみた。 確かに、旋律線が良く似た部分があり、和声の進行も似ている。 とりま、剽窃の範囲からは逃れられるのではないかと思う。 だが、これで一件落着したわけではない。 なにしろ、ありふれた個性のない旋律であるから、他にも似た曲があるに違いない。 そもそも、この部分は深夜に作られたもので、疲労による一種異様に高揚した精神状態のもとで、自動筆記のように鍵盤を弾いて作ってしまったものであるから、無意識のうちに過去に聴いて忘れてしまった曲を剽窃してしまった可能性はある。 まあ、そんなことを気にしていれば、作曲などできはしないが。 もし、かの国の国歌と似ていると批判(あるいは嘲笑)する人がいたら、「メロディーでイデオロギーが表現できるか?」という古くからの疑問に係る実験であると強弁しようと思う。 スポンサーサイト
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交響曲日本国憲法の序章が、不満はたくさんあるけれど、とにかく完成したので、第二楽章の構想を考えることにする。
様式はスケルツオにする。序章の暗く悲劇的な曲想からガラリとかわった諧謔な内容にしたい。 使用するモチーフは、主として序章で提示したものを展開して使用すが、新しいモチーフも作りたい。その際、ポップス・ロックの要素が加わることを躊躇しない、また過去の作品からの引用もやってみたい。 歌詞は改憲を企む人々の発言を構成して使用する。 まずは、改憲発言の収集から始めることにする。 序章は4日間で作ってしまったが、今度は落ち着いて時間がけて作っていきたい。 その間、普段のスタイルの曲も作っていくことにしたい。 |
拙作「交響曲 日本国憲法 序章」は、録音が不出来で耐えられないので、結局再録音することになりました。
迷ったあげく、短3度あげてハ短調に変え、苦手な低音歌唱をやめることにしました。 歌は歌いやすくなりましたが、オケはイ短調を前提にして作ったので、そのままでは使用に耐えず、いろいろと手を加えることになりましたが、技術と気力の不足により、満足のいくものにはなりませんでした。 それでも全体としては、最初の録音をはるかに上回ったと思います。 まだDAWの使い方を理解していませんが、これからいろいろ覚えていきたいと思っています。 |
新曲「交響曲日本国憲法 part 1」をSoundCloudから公開しました。
下記のURLで聴けます。 https://soundcloud.com/antiotakius-the-third/kenpo-part1 羊頭狗肉ですが、真面目に作りました。 バビ・ヤールの線を狙って低音男声ユニゾンを試みたのですが、なんとも情けないことになってしまいました。 しかし、「完成したものは不出来でも公開する」というポリシーに従って公開いたしました。 |
「交響曲日本国憲法」の第1部のオケが完成した。
当初の計画とは変わり、多楽章形式になってしまったが、とりあえず憲法前文の最初の句点のところまで作曲した。 モチーフは過去の放棄した曲の断片を使用し、6分強の長さだが、予想外の短時間で出来上がってしまったのには自分でも驚いている。 ただし、MIDIの細かい作り込みはしていないが、なんとか鑑賞に耐えうるのではないかと思っている、 こいうクラシックもどきの曲を作ると、ショスタコーヴィチの稚拙な模倣のようになってしまうのが常であり、それがクラシック風の作曲を断念した原因の一つであるが、今回はそうした自己批判の声に耳をふさいで強行した。 形式はパッサカリアで、歌なしでも成立できることを考え、歌の旋律はすべてオーケストラで鳴らしている。 さて、これから歌の録音であるが、慌てず落ち着いて体調の良い日を選んで進めていきたいと思っている。 |
日本国憲法前文に曲をつけたものを2曲ほど聴いたが、ポップス系やフォーク系の曲に違和感を感じた。
わかりやすい軽い音楽は、重厚な日本国憲法前文にはふさわしくないと思う。 私ならクラシック系の様式を選ぶ。 さて、少年時代から交響曲を作りたいと夢想して果たせず、電波系音楽に転じた私であるが、一生に一度は大規模で重厚な曲を作ってみたいという願望がある。 そこで、思いついたのが日本国憲法前文だ。 これを交響曲に仕立てる。 スタイルは単一楽章で、前半部は戦争を表現した凄惨な音楽を、後半部は合唱を加えた平和の賛歌という構成はどうか。 お手本はショスタコーヴィチの2番あたり。 ただし、アマチュアのオーケストラ又は吹奏楽と合唱団で演奏することを前提に、平易に演奏できるように努める。 モチーフは、少年時代に作った断片を発展させて使用する。 とりあえずMIDIでデモを制作し歌も自分で歌う。 以上思いつくままに列挙してみたが、課題はは集中力と体力と時間である。 憲法が改悪される前に完成させなければならないので、のんびりしてはいられない。 さあ、どうしよう。 |
いままで70曲ほど作ってきましたが、「がんばれ安倍晋三」は最低・最悪の作品だと自負しています。
でも、「出来の悪い子供はかわいい」という格言のとおり、妙に愛着があって、毎日エンドレスで聴いています。 普通は、曲を公開した後には、自己嫌悪と後悔で落ち込むことが多いので、おもしろい現象だと思っています。 |
指摘される前に白状します。
最新作「がんばれ安倍晋三」のサビは「燃えろドラゴンズ」のパクリです。 若い人は知らないでしょうが・・・ イントロも多分パクリだと思われますが、原曲は忘れました。 この歌は、短時間にふざけて作ったものなので、コードやメロディーや歌詞がデタラメです。 真面目に作り直すか、それとも破棄するかまだ決まっていません。 あと、少し前に公開した「歳月」という曲のイントロは、60年代韓国歌謡の「女の一生」という曲のパクりです。 これは、モロパクリではなく変奏していますが、盗作の嫌疑はまぬがれないでしょう。 そのほか、たくさんの古今東西の曲から「引用」と称したパクリをやっています。 これを見つけるのも、私の曲を聴く楽しみのひとつでは・・・そんなことないか |
政治的メッセージや社会風刺を歌った音楽は、斬新で、音楽性に優れ、かつカッコよくなければならないと思っています。
少なくとも私自身はそうでないと本気で聴くことはありません。 私は60〜70年代に学生生活をおくったので、当時の政治的メッセージを込めた歌を多く耳にしましたが、感心するものはありませんでした。それでも若者は反体制が当たり前だった時代の空気のなかで、ヒットした曲も少なくなかったようです。 さて、私自身の音楽ですが、私は最初から政治問題・社会問題を歌ってきました。しかし上記の3条件は全く満たせず、またストレートにメッセージを歌いこむのも美学に反する(粋でない)という意識があったため、遠回しな表現に終始していました。 たとえば成人後の第1作である「交通安全の歌」は世の右傾化を嘆き、左翼が弾圧される恐怖政治復活の警告のつもりでした。 「みんみん」は東アジアに相次いだ「民主化闘争」を私流のやり方で描写したもので、「みんみん」は「民民」という民衆の叫を表現したものでした。その他隠れ政治的・社会的メッセージ曲をたくさん作って歌いました。 その後、私は精神障害に苦しみ、挫折感と無気力に苛まれ、9年間音楽を離れることになりました。 復活後は、加齢により潔癖症が後退し、こだわりも減少したので、韜晦せずに政治批判・社会風刺を歌うようになりました。 しかし、「音楽で大衆を啓蒙する」などといった、だいそれた目的は全くありません。 まず第一には自分のため。すなわち自己の政治的立場を確認し、怯懦な言行と決別し、さらには、ともすれば落ち込みがちな自分自身を元気づけふるい立たせるため。 第二には、戦っている人を笑わせ、リラックスさせ、元気づけられたらいいな・・・という願望のため。 ですから、デモや集会で使われたらこの上なく光栄だと思っています。(多分無理) また、そのために「非営利であれば、著作権フリーである」旨公表しています。 詳しくは下記のホームページに記載してあります。 http://www.pluto.dti.ne.jp/~antiotak/ |
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