最初は足の裏から始まった。
2006年1月1日。 家から4kmほど離れた神社に、歩いて参詣した。 気分は爽快、体調は万全で、足どり軽く長い急な石段をかけあがった。 それがいけなかったようだ。 足の裏にひきつるような痛みを感じた。 幸い、以前に試供品でもらった貼り薬で、すぐ治った。 年末年始は、ウオーキングで明け暮れた。 10月の健康診断で、コレステロールと尿酸値の異常を指摘された。 健康のため、医師から毎日30分以上歩くことを勧められた。 私は、その勧めに従い、渋々ウオーキングを始めた。 しかし、体を動かすと、精神が高揚して、体調が良くなることがわかった。 にわかに運動が趣味になり、最大の楽しみになった。 歩く距離は日増しに増えていった。 年末年始には、朝食後2時間、昼食後2時間、夕食後2時間歩いた。 さすがに、ひざやふくらはぎや太ももが痛んだが、気にしなかった。 1月4日 朝、腰に鈍い痛みを感じた。 午後には歩くことも困難になるほど悪化した。 だが、活力は衰えておらず、横になって無為に過ごすことができなかった。 そこで、気晴らしに音楽を聴いた。 異様なほど感動した。 ぜひこの感動を書き記す必要があると考えて、ノートをとった。 横になった姿勢で書くのは苦痛なはずだが、全く気にならなかった。 文章はたちまち完成した、 これが引き金になって、自動筆記のように、次々と、長短様々な文章がわき出てきた。 ウオーキングにかわって、書くことが最大の楽しみになった。 私は生来筆無精で、ノートに書くことなど滅多にしない。 そもそも、メモをとる習慣が全くなかったのだから、この変貌は驚くべきことだった。 私は飽くことなく書き続けた。 ノートは文字でいっぱいになった。 一日は長かった。睡眠も十分とった。 1月10日 仕事は絶好調だった、 普段の2~3倍の能率で、次々と処理した。 前の週に、腰痛で休んだことによる仕事の遅れも、たちまち取り返した。 一日は本当に長かった。以前の2日分にも感じられた。 与えられた仕事を全部済ませても、手持ちぶさたにはならなかった。 できる仕事はいくらでも見つかったからだ。 昼頃、胃に違和感と痛みを感じたが気にしなかった。 1月11日 胃の違和感と痛みは治まらなかった。 みぞおちがパンパンに張って、押すと痛みが走る。 大事をとって、胃腸科へ行った。 医師は原因をはかりかね、首をかしげながらこう言った。 「何か変な薬を飲みませんでしたか?」 しかし、心当たりは全くなかった。 1月12日 朝起きると、左目が痛んだ。 目に異物が入ったのかと思い洗浄したが、痛みは消えない。 しかし、あまり気にせず、勤めに出かけた。 仕事を始めると、左目の視力がひどく落ちていることに気づいた。 すべてのものが霞んで見える。 これは一大事と、すぐさま眼科へかけつけた。 角膜に傷ができているのが見つかった。 しかしたいした傷ではない。 視力が著しく低下した原因はわからない。 念入りに検査をしたが、原因不明のまま、とりあえず様子をみることにした。 足の裏から始まり、身体を病気が垂直に上昇していった。 足、腰、胃、目、次は脳か? そう考えて笑ってしまった。 とても楽観的だった。 しかし、ほどなく脳に異常が発生した。 意識がもうろうとなり、めまい、動悸、息切れ、悪寒、強い恐怖におそわれた。 この感覚には憶えがあった。 数年前に、全く同じ症状を体験していたのだ。 急激な精神失調である。 そのときは、情動失禁に陥り、理由もなく泣いたり笑ったりして、鎮静剤の注射が必要だった。 とにかく、今は安静が必要だと考えた。 数時間安静し、心を落ち着かせてから、主治医である精神科へ向かった。 結末はあっけなかった。 短時間の診察と安静で、すべての症状が消えた。 憑き物が落ちたのだ。 憑き物とは「躁」であった。 精神が異常に高揚するなかで、無謀な、過剰な活動をしたのた。 身体は、過労で悲鳴をあげていたのだが、それに全く気づかなかったのだ。 その悲鳴が、腰痛、胃痛、視力障害となって、警告を発していたのだ。 今、精神状態は正常に戻り、疲労だけが残っている。 十分な休養をとれば、ほどなく健康な体に戻るだろう。 足の裏から頭まで、垂直上昇で病んだが、病が頭を突き抜けて消えたのだから、当分は病気とは無縁で過ごせるに違いない。 それに、得難い体験もした。 非凡な人、天才と呼ばれる人の驚異的な活力の秘密を、かいま見ることができたのだから。 スポンサーサイト
|
--- 程度について ---
その、程度がわからないのがキ○○○の証拠・・・
| 管理人 | URL
| 編集 | 2006/01/14 08:15 |
--- 毎朝会社まで45分歩いてます ---
歩くのは確かに精神にも肉体にもいいんですが、ものごとには、程度ってものが(汗)。 |
|
| HOME |
|